管鍼法の発明者であり、鍼灸の神様とも呼ばれる、世界で一番初めに視覚障害者のための鍼灸学校を創設した杉山和一という方の生涯を辿ってみましょう。

杉山 和一(すぎやま わいち)1610~1694
職業:鍼灸師

*プロフィール
杉山流鍼術(管鍼法)の創始者。視覚障害者のための職業教育施設「鍼治学問所」の創設者。「杉山検校」とも称される。
伊勢国安濃津(現・三重県津市)に藤堂藩士・杉山権右衛門重政の長男として生まれる。幼児期に伝染病にかかり失明した。家督を義弟の重之に譲り、17歳で江戸に出て検校の山瀬琢一に弟子入りするが、技術が向上せず破門される。目の不自由な身で生きるため、江島弁天(現在の「江島神社」・神奈川県藤沢市江の島2-3-8)の岩屋にこもり断食修行を行った。満願の日に石につまずき倒れた時、足に刺さった松葉が筒状の椎の葉に包まれていたことから管鍼法を発明したという。つまずいた石は、後に「福石」として江ノ島の名所になっている。
その後、京都に行って入江豊明に弟子入りし、修行に励んだ。江戸に出て開業したところ大盛況となり、鍼の名人として有名になった。その名声を聞いた五代将軍・徳川綱吉が自身の治療にあたらせ、貞享2年(1685)20人扶持の「扶持検校」として召し抱えられ、道三河岸(現・千代田区大手町)に屋敷を賜った。元禄5年(1692)には、視覚障害者の互助組織である当道座において関東を差配する関東総禄検校の位に就いた。
元禄6年(1693)6月18日、綱吉の病気を治した功績により、本所一ツ目に2,700坪(約8,910㎡)を下賜された。この地内に、和一が参詣を続けていた江島弁天からの分霊が許可されたため、荘厳な社殿が建立され「江島弁財天社」(現在の「江島杉山神社」・千歳1-8-2)が祀られた。この社は、江戸時代には「本所一ツ目弁天社」と呼ばれ、和一が修行した江ノ島の岩屋を模した岩窟も造られた。
天和2年(1682)世界初の視覚障害者のための職業教育施設である「鍼治学問所」を麹町(現・千代田区麹町)に開設したが、この施設が道三河岸、元鷹匠町(現・千代田区小川町)を経て、元禄6年(1693)に「江島弁財天社」内に移設され、優秀な鍼師を輩出した。また、和一の没後には、弟子たちにより和一を仏として祀る「即明庵」も創建された。
明治になり、「江島弁財天社」は「江島神社」と改称され、明治23年(1890)に「即明庵」は「杉山神社」として再興された。昭和27年(1952)「江島神社」と「杉山神社」は合祀され、「江島杉山神社」となり現在に至っている。大正13年(1924)に和一が正五位を追贈されたことを記念して建立された「贈正五位杉山検校頌徳碑」があり、これは和一の肖像のレリーフと点字による銘文銅板がはめ込まれた珍しい石碑である。
引用~東京都墨田区立図書館HP~

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